高い時計について思うこと

今回は只の私の独り言です。

しかし、物とのつきあい方を考えていく中で出た、一つの答えだったので、記事にしています。

結論から言うと、私は高い時計を持つ意義が分かりません。
そのデザインや構造、ブランドや材料によって値段が高くなってしまうのは理解出来ます。
しかし、材料費、技術料、ブランド代以外の上乗せがあまりに大きく、高価になること、そこから理解が出来ないのです。
時計に何を求めているんだ、と思ってしまうのです。
いざという時に高く売れたり、壊れた時に修理出来たりする利点はあるでしょうし、一目置かれることもあるでしょう。
しかし、その効果はいつ、どれ程で、そして、どれ程の頻度であるでしょうか。

更に、時計はピンキリ、です。
数百円から家や船が買えてしまう金額まであります。
数万円でも一般人からは高いと思われるのに、数千万円の物を持っている人からは安いと思われてしまう。
そんな価値観のある世界で何十万や数百万で競い合うことに何の意味があるのでしょうか。

下を見れば、確かに下がいる。
しかし、確実に上が、格上がいる世界。
泥沼に入るようなものではないでしょうか。
それなら、スマートウォッチを買う方が賢明です。
私なら、Apple Watchを選びます。
6万円前後と決して安くはありませんが、高すぎることもありません。
金額を自慢するより、機能を自慢した方が、理解出来るからです。
とは言え、私に心電図や酸素飽和度を毎日図る必要もないため、機能を持て余してしまいます。
使わない機能のために大金を出すのは、おかしな話です。

自分の価値観に合い、必要を満たすのなら、100円だろうと大切ですし、合わなければ、不必要です。
世間的に大人は、特に男性は良い時計を持っていて当たり前、という風潮がありますが、全員がそれに合わせる必要はあるのでしょうか。
周りに流されず、自分に必要な物を考え、所有していきたいものです。

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